2012年7月25日水曜日

本日のいけばな

生花新風体
ケイトウ、ヘリコニア、など


2012年7月19日木曜日

本日のいけばな

自由花
マンサク、ナルコユリ、アジサイ、オミナエシ、ユリ


マンサク(いちばん後ろの枝)は、間引きまくりました。
間引くことでいい枝っぷりが出てきて、間引く前よりもかえって主張するのだそうです。

2012年7月10日火曜日

崖で愛を叫んだのち参戦するロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)2012 最終日


10日目 2012年7月9日 ロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)→カストラップ空港→日本


びっくりしました。起きたらIさんと私のテントの真ん中の、荷物置きスペースにEさんKさんがうまくおさまって寝ているではありませんか。

しかも、携帯を見たら、位置表示のところに "GOD FEST(よいフェスを)" と出ていて、現地の通信会社の粋な計らいにもびっくりしました。


本日は撤収日。EさんKさんに助けてもらって、スムーズに片付けられました。ありがとうございます。


"GET A TENT" エリアでは、使ったテントは置いていっても、記念に持って帰ってもOKです。Iさんと私が使った2人用テントは、つくりがあまりしっかりしていないのですが、写真の1人用は割としっかりしているので、もって帰る価値があります。フェス仲間達は、来年は"GET A PLACE"という、テントは持参で、建てる場所だけ予約しておけるエリアでみんなで集まろうと考えているとのことです。

9:30、フェス仲間ともお別れです。どうしてもわたしはここで泣いてしまうのです。次回、いつフェスに来られるか分からないので、余計にです。
思う存分ハグして、

私 「次はいつ来られるか分からないけれど、また必ずここへ戻るから。」
B  「私達も日本に遊びに行く。」
私 「私の家は小さいから寝るところがないよ~?(笑)」
K  「じゃあテントをもっていけばいい(笑)」
私 「アパートの前の駐車場ならテントがはれるよ(笑)」
B  「じゃあTOP CAMPの旗も立てないと(笑)」

泣くのはいやだからと、こんな冗談を言って、笑顔でお別れしました。

I さんと空港へ。飛行機が来るまで、2人でまた飲んでいました。1年前、I さんが「私も来年はロスキレに行きたい。」と言ったことから始まったRoskilde2013。休みを取って大丈夫なの?お金は?と不安材料は多々あったものの、思い切って来てよかったです。何とかできてしまったのだから、なんだかこの先も、I さんも、私も、何があっても何とかなるかな?という気が勝手にしました。

さて、I さんとも別れ、いよいよ出国。次はいつデンマークに戻れるのか分からないので、最後の食事は、デンマーク料理「ハッケベフ」で締めました!


本当にいい旅でした!また皆さんに会えますように。

2012年7月8日日曜日

崖で愛を叫んだのち参戦するロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)2012 9日目

9日目 2012年7月8日 ロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)


前日は遅くまでがんばったので、少し遅めに起きて、8:30にシャワー行ったところ、シャワールームに裸の女性の行列ができており、奥のシャワーは完全に配水管が詰まっていて、足首まで汚水に漬かって浴びるぜ状態でした。もう、何かが麻痺しているので、今更驚きません。


見事に晴れました!今日はデンマークで出会った友人Eさんと、その友人Kさんが、一日券でロスキレフェスティバルに参戦の日です。10:30にEさんKさんが無事到着。


Iさんと4人で、せっかくなので、会場ぐるり一周ツアーに出発。こんなところばっかりですが。


最終日には、コンサートを観ないで帰る人たちも結構います。翌日は月曜日なので、遠くから来ていて翌日は仕事や学校がある人は、早めの撤収をします。しかし、これは何なのでしょうか。風力発電機つきスピーカー?フェス会場では電源が常に不足するので、この手の自家発電型発明品をよく見かけます。


みんながトイレ代わりに使ったであろう、窒素激烈過多に違いない沼。絶対に投げ込まれたくないです。


一般テント場のトイレは汲み取り式です。ペーパーの供給も追いつかないので、あらかじめ自分が使うトイレットペーパーを確保してからトイレへ行きます。ちなみにこのトイレの中は十中八九、吐き気を何度ももよおすおそろしい臭さです。水洗とは大違いです。


トイレの水道で髪を洗う。デンマーク人で普段ここまで横着なことをする人はあまり見かけないのですが・・・フェス会場にいると、何かの感覚が麻痺するのでしょうか。こうして水道で髪を洗う→排水溝が詰まる→水道が汚水であふれる→汚水に髪を浸しつつ髪を洗う…という負の連鎖が起こるのですが。「水のいらないシャンプー」をロスキレフェスティバルで売ったら売れると思います。


数々のトイレネタは、もはやオフィシャルTシャツのデザインにもなっているほどです。これはEさんが買ったTシャツです。木にくくりつけてある立ちション用便器に「大?」をしつつも彼氏とキスする女子。ロスキレフェスティバルでなければ考えられないシチュエーション。フェスのような非日常な空間に何日もいると、北欧の人は感覚が野生に近づくのでしょうか?


結局、こんなところを一周して、何かが麻痺してしまった4人は、青空の下でビールを飲みましたが、話のお題がどうしても「大」と「乳」になってしまう症状に見舞われました。


少し早めの腹ごしらえ。毎年食べている「thailanna」のタイカレー。ここのカレーが、ロスキレのゴハンのなかでいちばん美味しいと思います。ちなみに、何かが麻痺してしまって調子こいてもう33なのにブラトップで飲み食いしていた私は、背中と腕が焼けすぎて、翌日から大変なことになりました。


そろそろ何か音楽でも聴きますかね?ということで、ロスキレフェスティバルに行かなかったらおそらく私は一生聞く機会が無かったであろう、ポーランドのデスメタルバンド "BEHEMOTH"のコンサートになぜか行ってみました(リンクはBEHEMOTHのオフィシャルHPにとびますが、音が出るので注意してください)。


が、デスメタルは女子には刺激が強く、なんだか疲れちゃったので途中で昼寝を選択。自由です。けっこう寝てしまいました。


みんなといったん離れて、私は元ホストパパFと待ち合わせ、公式パンフレット(チケットをアームバンドに交換する際に一緒にもらえる)のバンド紹介を見て気になっていた "ALABAMA SHAKES" のコンサートへ。このボーカルのおばちゃんが声が太くてめちゃくちゃカッコいい!


その後、フェス会場内でベルギービールが飲める「ワールドビールバー」へ。毎年、大トリのコンサートの前に、フェス仲間や、友人と参加しているフェス仲間の娘・息子たちはここに集まります。元ホストパパFの息子のL、フェス仲間で今回はロスキレフェスティバルスタッフとしてずっと会場内で働いていたRたちと再会しました。Rはずっと働いているので、ひょっとしたら会えないだろうなと思っていただけに、会えてよかったです。「日本からくるなんて!あなた、なんてステキなの?!」と言ってくれるRたちと話していると、私はやっぱり、もう使うことがほとんど無くても、汎用性が低くても、デンマーク語をずっと忘れないで話せるようにしておこうと思うのです。


さて、4人とも再会して、22:00です。いよいよ大トリ、ビョークのコンサートです。この時間になると、コペンハーゲン近郊に住んでいる人も、明日が仕事であればもう帰ってしまっているので、人は前日ほど多くはありませんでしたが、丁寧なコンサートだなと思いました。
ビョークの曲は、アップテンポでもスローでもない、ビョーク独特のテンポで独特に盛り上がる感じです。でも、曲が終わるごとに "Tack! Tack! Tack!"と言うのがかわいかったり("Tack" はアイスランド語で「ありがとう」の意味)。 

曲に合わせて、酔いにまかせて、不思議な踊りをするフェス仲間。




そして、ビョークらしい?独特な終わりを迎えました。これでロスキレ2013も終わりです。すべてのコンサートが終わると、なんだか目にじわりときてしまうのです。何かが麻痺しているので・・・。

2012年7月7日土曜日

崖で愛を叫んだのち参戦するロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)2012 8日目

8日目 2012年7月7日 ロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)


7:30起床、8:00にシャワーへ。GET A TENTエリアの人は、フェス会場の出入り時の通行証となる通常のアームバンド(腕時計の左隣の黄色×灰色のバンド。毎年デザインが異なる。)のほかに、耐水紙製のアームバンド(通常バンドの左についている、緑色のアームバンド。)をつけます。この紙製バンドで、シャワールームに無料ではいることができます。シャワーの詳しい事情はこちら


シャワールームは、コンテナの中にシャワーヘッドつきの配水管がついているものです。毎朝7:30にシャワーコンテナが開放されるので、開いてすぐなら空いていて、お湯もしっかり出ますし、好きな位置のシャワーが使えます。ウォームアップデーから8日もたてば、シャワーコンテナも排水がうまくいかなくなり、奥のほうのシャワーの足場は、毛髪、石鹸カス、ゴミ等で不衛生です。シャワールームが混んでいると、空いたところから順にシャワーを使うことになるので、運が悪いと、足場の汚いところに行く羽目になります。これを避けるがために朝早めにシャワーへ行くのですが、今日はなぜか8:00で行列ができていました。幸い、入り口付近のシャワーにあたりましたが、入り口付近は今度は水圧が低いという別の問題もありまして。さらに、途中でお湯が切れたか、水しか出なくなりまして。雨が降っているような日は、無理やり浴びにいっても、脱衣所が泥だらけで、着替えて戻る頃には足は汚くなっているので、むしろテントの中でウェットティッシュで身体をふくほうが清潔かもしれません。


午前中はIさんと、コペンハーゲンへショッピングへ行きました。目的はSKAGEN DENMARKの時計を買うことです。SKAGEN DENMARKの時計は日本でも買えますが、私がほしかったのは2012年7月当時、日本ではまだ売っていないモデル。


そんなわけで、ストロイエへ。土曜も店が開いてるなんて、都会っていいなあ。


無事、買えました。SKAGENの時計は2本目です。時計としてはオメガとかロレックスのように高価ではなく、むしろ相当に安い部類なのですが、それほど安っぽくも見えないので仕事でも気兼ねせずつけられ、軽くて薄いので邪魔にならず、デザインもいいので気に入っています。


望みどおりの時計が買え、安心して食べる巨大ピザ。ロスキレフェスティバルに行くと、食欲が旺盛になるような気がします。なぜでしょうか。


雨だし寒いし、フェス会場を回る気がしないということで、Iさんとピザを食べながら話し込んでいました。テントに戻ったのは15時過ぎ・・・。私は本日深夜からスタートするMEWのコンサートに備え、大雨の中、テントで昼寝をすることに。


18:30、コンサート会場へ出発。とくに聴きたいコンサートがない場合は、何でもいいので小さなコンサートテントへいって、腹ごしらえをしながら音楽を聴くのもいいです。コンサートテントの説明はこちら。運がいいと、ハマってしまう音楽に出会えます。写真のコンサートはBELLOWHEADというイギリスのフォーク?バンドのコンサートの様子です。金管楽器のほかに、アコーディオンやリュートなど、いろいろな楽器の音色が楽しめる音楽でした。ハマる程ではなかったですが、聴けてよかったなあと。


コンサートテントから少しはなれたところで、Iさんと私はベジタリアンフードをほおばり、


その傍らには、ビールを飲みつつ発電機つき自転車をこいで、携帯を充電する人々がいたりします。みんな、自分のやりたいことをしています。



さて、本日21:00から、メインコンサート会場のOrangeテントでは、ロスキレフェスティバル2012最大のゲストのコンサートが始まります。20時過ぎたあたりから、人が集まり始め・・・。


人がどんどん集まり・・・。


プレスのカメラも入り・・・。


通路もなくなってしまうほどの大入り満員に。今この瞬間、たぶんデンマークでここが最も人口密度が高いでしょう。


ロスキレフェスティバル2012最大のゲストとは、BRUCE SPRINGSTEENです。なんでも、友人の情報によると、この方をゲストによぶのが、ロスキレフェスティバル事務局のかねてからの悲願であり、今回やっと念願がかなったのだとか。ゲストへのギャラ全体の20%はこの人向けだとか。どうりで今日の分だけ、1日券(コンサート4日間のうち、1日だけ入場できるチケット)が4月の段階で売り切れていたわけです。

最近のナンバーから昔の有名なナンバーまで。知らない曲ばっかりだと思いきや、"Born in the USA"は私も聞き覚えがありました。そうか、この人が歌っていたんですね。



BRUCE SPRINGSTEENをよく知らない私ですが、コンサートはとにかくすごかったです。本人は今年で63歳なのですが、3時間のコンサートを全く休憩なしで次から次へと疲れを感じさせることなく歌い倒してくれました。あっという間に3時間すぎてしまいました。たいてい、コンサートは中だるみがあったりして、ずっと聴いているのがだるくなることが多く、正直3時間は長すぎだろうと思っていたのですが、いつの間にか3時間すぎていた、という感じでした。こんなに短い3時間がこの世にあるのか?という感じです。それだけ、BRUCE SPRINGSTEENが休むことなく客を楽しませてくれたということなんですね。いい経験をさせてもらいました。


またたくまに過ぎ去ったBRUCE SPRINGSTEENのコンサートのあとは、強めのコーヒーでパワーをつけて、再びOrangeテントへ。本日最後のコンサートは、深夜1:30より開始です。日が暮れたあたりから、どんどん寒くなるので、夜はTシャツの上から2~3枚長袖を着こまないと、風邪をひきます。長い時間立っていると腰も冷えて痛くなるので、腰にカイロをはってもいいかもしれません。

始まりました。着実に力をつけて世界に名を知られつつあるデンマークのロックバンド、MEWです。2009年のロスキレフェスティバルにも来ていましたが、当時はまだ、Orangeテントよりもひとつ小さいテントでコンサートをしていました。2012年、ついに最高峰のOrangeテントに立ったわけです。3年でずいぶん成長したのですね。勝手ながら、「うちの子ががんばっています」的な、母のような気持ちで歌を聴いていました。ボーカルの透き通った声がいいのです。


深夜3:00、眠気に勝てず、撤収。なんていいい一日だったのだろう。

2012年7月6日金曜日

崖で愛を叫んだのち参戦するロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)2012 7日目

7日目 2012年7月6日 シンダイル→オールボー→ロスキレ(Roskilode)


今日はいよいよ、ロスキレフェスティバルの会場に移動です。その前に、死んでしまった犬・シサニーとよく散歩に行った、近所の原っぱを散歩しました。通称"Zizaniehave(シサニーの庭)"。晴れの日も雨の日も雪の日も、シサニーと一緒にここを散歩しました。


前述の通り、オールボーまで列車はなく代替バスで、列車がスタートするオールボー駅とも接続が悪いため、9:30、ホストファミリー息子Tの運転でオールボーへ出発。ちなみにデンマークでは、普通車の制限速度は130km/hです。ここまで速度を出すと、車種によってはハンドルがぶれます。おかげさまで、約30分でオールボーに到着。


ホストママLとはオールボーでお別れ。「あなたが来てくれてよかった。よいフェスを。」と言ってもらえて、私は幸せ者です。息子Tは、私がステイをしていた頃はまだ高校生でしたが、現在はデンマーク第2の都市・オーフス(Århus)で大学生をしていて、オーフスまでは私と同じ列車で帰ります。とても不思議だったのが、ステイ当時は他の人のする話が理解できても、Tがする話がどうしてもよく分からなかったのが、むしろデンマーク語力が当時より落ちている今の方が理解できるということです。これはきっと、Tが、私が理解できるようにうまく単語を選んだり(若者同士のスラングを使わない等)、うまく端折らないで説明をして話をすることができるようになったからなんだろうなと思いました。Tも大人になったんだなあと。で、話していた内容というのが、デンマークの新改札システムについてです。日本のICカードのように、タッチして改札する機械ができたのですが、そもそもタッチ改札しなくてもホームに入って列車に乗れる(日本のように改札ゲートがなく、切符類は車内で車掌がチェックする)ので、新システムではタッチを忘れて乗車する人が多く、無賃乗車あつかいとなってうまく機能してないとのこと。タッチ忘れで無賃乗車代(日本円にして1万円くらいとられる)を払うのはかなわないので、結局、これまでの紙の切符や回数券を使う人が多いということ。「こういう新しいものがすぐにはうまく回らないところがデンマークなんだと思うよ。」とTは言っていました。


さて、列車がやってきました。これが先頭です。先頭がこんな形じゃあ速度が出せないわなと思うのですが、それ以前に、北ユトランド地方の線路はガタガタなので、どんなに最新鋭の車両をもってしても、出せる速度は大して変わらないのだそうです。しかし何度見ても、私にはぺヤングソース焼きそばに見えます。


ぺヤングソース焼きそば列車の車内の様子です。写真中央の表示板にかいてある"Std Hvil"というのは、「サイレント車両」の意味で、この車両内では会話禁止です。静かにしていたい人はここの車両に座り、しゃべりたい人は一般車両に行きます。他にも、子ども車両とか、ペットOK席とかあります。なんで日本は、この車両分け方式が浸透しないのでしょうか。泣いている子どもにイライラ、お母さんはおろおろ、早朝出張は少しでも寝ていたいのに会話を楽しんでいる人にイライラ、これから旅行に行くのに寝ている隣のサラリーマンを気遣って黙り込む、なんて、みんなで我慢しているより、こうやって住み分けてしまったほうが、どの立場の人もお互い幸せだと私は思うのです。


15:30ロスキレ着。この旅のコペンハーゲン入りの日にもお世話になった、Iさんも参戦ということで、ロスキレ駅で落ち合って、いざ会場へ。なお、ロスキレフェスティバルにこれから参戦されるという方、チケットなどの手続き的なことは以前こちらに書きましたので、ご参考まで(情報は2009~2011年のものですので、一部古くなっている可能性があります)。今回はもう、私のやっていたことをダラダラ書きます。"GET A TENT"テント場(自分のテントをあらかじめ張っておいてもらえるので、テントを持参しなくてよく、テントの場所取りもしなくてよい)に到着。フェス仲間は既に6月30日のウォームアップデイズ初日からテント場にいるので、目印になる旗を探します。これが私達の目印の旗です。女性もののいらないトップスで間に合わせのように作ったので、"TOP CAMP"。今年は新しい旗も誰かが作ってきた様子。


飲み物を冷やすための新発明までされていました。発泡スチロールにファンを取り付け、太陽光パネルで天気をつくって回す、簡易冷蔵庫です。



フェス仲間は既に皆、コンサート会場へ行っていて、誰もいません。ということで、Iさんと腹ごしらえにコンサート会場へ。もうウォームアップ初日から6日も経ってますから、一般テント場はこのありさまです。毎度のことです。


本日の夕食。ロスキレフェスティバルのフェスごはんは、外食がイマイチな国デンマークにしてはレベルが高く、どこも美味しいと思います。


コンサートを聴きに行く前に、ノベルティを買いに走ります。ノベルティはウォームアップデイズから売り出し始めているので、最終日に近づくと、種類・サイズによっては品切れが出ます。これが2012年のオフィシャルTシャツです。はっきり行って2012年のTシャツは、シルエットは女性らしくていいですが、デザインはありきたりでイマイチです。他の年のTシャツはこちら


毎年、Tシャツしか買っていませんでしたが、もう来年はフェスにいけるかどうかも分からないので、思い切って買ってしまった、ロスキレフェスティバルオリジナルコンバースです。紐はオレンジ色もついてくるので、気分で換えられます。外側のかかとにロスキレテントの刺繍が入っています。オリジナルコンバースにしては意外と安くて、400DKK(約6000円)。


ついでにこれも買い。ロスキレジッポです。タバコは吸わないので、非常持ち出し袋に入れます。いざというときも、ロスキレフェスティバルのことを思い出して乗り切るのです。ちなみにこれを飛行機で日本に持ち帰る際は、手荷物に入れると没収の可能性があるのでご注意。


と、いうわけで、今年もメインテントの前に性懲りもなく帰ってきてしまいました。Iさんと私がたたずんでいると、コンサートを聴きにきたフェス仲間のRが偶然私達を見つけてくれて、やっとフェス仲間達に会うことができました。今年も再会できました。うれしい。


本日、特に聴きたいのは22:30からのコンサートなので、それまでは会場を散歩して、Iさんと人間ウォッチングをしました。 


どーもくん。 


気合の入った衣装。


脱ぎ、そして踊りはじめたオヤジ。このフェスは子どもから元ヒッピー世代のお年寄りまで、年齢層が幅広いのが特徴です。



なぜかピースを向ける人々。


コンサート会場のはずれにあるコンサートテント"ODEON"は、デンマーク初のLEDライト100%テントだそうです。


これがODEONです。


そうこうしている間に22:30になりました。本日のトリ、JACK WHITEです。本人以外全員女性のバンドメンバーを連れて登場。そのメンバーが、みなL´EST ROSEみたいな服を着ていてかわいらしいのと、音楽のギャップが面白いです。私はTHE WHITE STRIPES時代からこの人のギターが好きでした。生で聴けて幸せです。 


ロスキレフェスティバルの夜がふけていきます・・・。

2012年7月5日木曜日

崖で愛を叫んだのち参戦するロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)2012 6日目

6日目 2012年7月5日 シンダイル→ヨアリング(Hjørring)→シンダイル


今日はロスキレフェスティバルのコンサート初日ですが、私は参加せず、シンダイルにとどまって、ほんのり「肥」の香りの服を身にまとい、会いたい人に片っぱしから会いに行きました。

M家の朝ごはん。写真の左下、朝食の定番のパンである"rundstykke(発音が難しすぎてカタカナで書けません)"にはバターをぬり、その上にチーズ、さらにその上にジャムをのせます。まさに、ジャムバタチーズだんだんだーん♪状態です。初めてこれを見たとき、なんという組み合わせだと思いましたが、これが思いのほか美味しいのです。お試しあれ。今では私もすっかり、ジャムバタチーズだんだんだーん♪肯定派です。日本でジャムバタチーズだんだんだーん♪をするときは、パンはフランスパンのような固めのもの、チーズはナチュラルチーズでしょっぱいものを選ぶと美味しいと思います。


8時にM家を出発して、シンダイル駅へ。シンダイルの隣町、ヨアリング(Hjørring)には、本来は電車で行けるのですが、この日はたまたま線路工事中で列車は走っておらず、代替バスがでていました。しかし、2012年6月2日から工事が始まり、元のダイヤに戻るのが2012年10月29日とは...。どういう工事か知りませんが、日本で、この工期の長さに加えて、事業者側が「バスがあるからいいじゃん。」なんていう態度だったら、怒り狂う人がでるのではないかと。そこは「仕方ない」の国デンマーク。かつ、もともと電車は1時間に一本しかないので、うまくまわってしまうわけで。

ヨアリングでは、赤ちゃんが生まれたばっかりの友人JとGのふたりをたずねてきました。陶芸家のふたりは、新しいアトリエとなる家を郊外に見つけたそうで、新しい生活に胸が躍っていました。

そして、そのあとヨアリングをぶらぶらしていたら、語学学校で一緒だったVさんに偶然遭遇。人口の少ないデンマークではこういうことが普通にあるのですが、こちらはたまたま今日一日だけヨアリングに来たわけで、あまりの偶然にふたりとも大喜びでした。

シンダイルに戻り、ここまできたら会える限りの人には会っておこうと、約束もしていなかったのですが、仲がよかったGさん宅のドアも叩いてみました。そうしたら、見事にGさんがいました!何たる幸運だと、これまたふたりとも大喜びでした。台湾出身のGさん、「次は台湾で会おう!」と約束しました。

M家に戻り、パッキング。ここでM家のみなさんとはお別れです。「またいつでも来てね。」と言ってもらえて幸せでした。続いて、シンダイルのS家へ移動。S家も、ビンスレヴ国民学校でインターンをしていた時の、私のホストファミリーです。S家のお父さんが、当時、ビンスレヴ国民学校の先生をしていた縁で、ここでホームステイをすることになりました。ちなみに、私がロスキレフェスティバルにハマッたのも、ベルギービールにハマッたのも、このお父さんの影響です。

家ではお母さんと息子が待っていてくれました(お父さんはロスキレフェスティバルに行っているので不在)。手作りのHyldebromstersaft(Hyldebromstという白い花、レモン、砂糖を一緒に煮出して?作るシロップを、氷水やソーダで割った飲みもの)で迎えてくれました。前にも書きましたが、市販品より手作りの方が断然美味しいのです。うれしすぎます。


夕食はS家の父方のおばあさんが用意していてくれる、ということで、3人でヒヨットシャルス(Hirtshals)のおばあさん宅へ車で向かいました。

私はこのおばあさんが大好きで、デンマーク滞在時は個人的にもおばあさんのお家に遊びに行っていました。おばあさんはヘルパーつきの老人アパートで一人暮らしをしていて、普段はひとりなので、話し相手ができたことをとても喜んでくれました。こちらも、おばあさんの話をきちんと理解したくて、がんばってデンマーク語を勉強したものです。ナチスの反対勢力だったデンマーク人が家に転がり込んできてかくまった話など、たいへんだった若い頃の話や、最近の王室ゴシップネタに関する意見まで、本当にいろんな話をしてくれました。

おばあさんのアパートの窓からは、ノルウェー行きの船が見えます。おばあさんも、S家のお母さんも息子も、私が次はいつデンマークに来られるかわからない事を知っているはずですが、行きかう船を眺めながら、いつもどおりの話をしていました。そんな時間がありがたかったです。


おばあさん特製の野菜のグラタンを食べて、さてシンダイルへ戻るぞとなったとき、お母さんが私に「さあ帰りはあなたが運転しなさいな!」と、自殺行為に限りなく近いことを言うので、私は約1年ぶりにデンマークで車を運転することになりました。もともと、車の免許はデンマークで自動車学校に通ってとったので、免許もありますし交通ルールは分かっていますが、1年ぶりに左ハンドルのMT車を動かせるかどうか、うっかり左側を走行してしまわないか、かなりドキドキでした。

シンダイルのS家に戻り、サイドブレーキを引き終わったとき、私も、後部座席のお母さんと息子も、なぜか「フフフフ・・・フフフフ・・・。」と笑いだし、拍手していました。無事に帰ってきて気が抜けたのでしょう。お母さんは「すごい!手と足は1年ぶりでもちゃんと覚えているのだわ!」と私を抱きしめてくれました。こんな機会をくれたお母さんに感謝です。やっぱり車はMT車のほうが、機械操作をしている感じがしていいです。

夜は庭でベルギービールの"Trappist Westbleteren"を飲みながら、私はS家が飼っていた愛犬シサニーが5月に死んだことを初めて聞きました。シサニーは私がホームステイしていたとき、もうすでに老犬でしたが、賢くて、何かをすごくよく感じ取る犬でした。私がつらいことがあると、察知したかのように鼻で私の部屋のドアを開けてたずねてくる犬でした。散歩もしょっちゅう行きましたし、ホームステイ先を離れてからも、時折散歩させてもらっていました。シサニーと森の中を散歩すると、なにか癒される気がしていました。「みんなすこしずつ、年をとっていくね。」と、あたりまえといえばあたりまえの話をしながら、日が完全に落ちて肌寒くなるまで飲んでいました。