2013年1月24日木曜日

本日のいけばな


自由花
すみません、ガーベラ以外は何の花か忘れました


2013年1月18日金曜日

東京の象徴

東京には最近、私が上れなかったスカイツリーなど、新名所ができています。それ以前にもディズニーリゾート(厳密には東京ではないですが)、東京タワー、東京駅など、キャッチーな場所がたくさんあり、子どもの頃に目に焼き付けたら、きっとそれが、その子の東京の象徴として、定着するのかなと思います。

ちなみに、私の心の中にある東京の象徴は、

これ ↓ ではなくて、その近くにある、


これ ↓ です・・・。麻布台の飯倉交差点にあるNOAビルです。


親が東京に単身赴任をしていたため、私は小さい頃に何度か東京に行ったのですが、父母がわが子に見せてくれる東京は、後から検証するとかなりマニアックでした。

【例】
1983年
「ひろい場所で、ピンクや水色の服を着たお姉さんたちと写真を撮った」
=代々木公園のたけのこ族

1989年
「電気屋さんがいっぱいあるところへ行き、暗くて狭い場所に連れて行かれ、細かい部品がたくさん売っているのを見た」
=秋葉原ラジオセンター


そのような状態で、唯一、電気屋さんの前に見にいった「これぞ」という名物が東京タワーでした。しかし、私にとっては、東京タワーから神谷町駅に向かう途中で見てしまったNOAビルのほうが衝撃でした。入り口がやたら大きいわ、ビルは黒光りしているわ、なんだか位牌のような形をしているわで、とにかく小学生の私にはNOAビルが不気味でしょうがなかったわけです。この日から、私の中では「東京といえばNOAビル」になってしまいました。その後、大学生になり東京で一人暮らしをはじめ、そのまま埼玉で社会人になりましたが、その間、時折NOAビルを見に行っていたほどでした。

調べてみると、NOAビルは1974年竣工で、設計者は白井晟一さんという方だそうです。74年にあんなビルを建てたその感性が斬新だなあと思います。そして、竣工から15年たってから、子どもだった私に忘れられない強烈な印象を与え、今も印象を残し続けているのですから、すごいです。

そして東京を離れ何年もたち、先日、神谷町へ出張したとき、NOAビルをちらっと見ることができました。それが前掲の写真です。なんだか「NOAビルも年をとったなあ」という印象を持ちました。あんなに不気味だったはずなのに、なくなったら寂しいなあと思いました。

2013年1月5日土曜日

利き酒をしていたらスカイツリーに上れなくなった

2012年12月某日、スカイツリーにいきました。


ものすごい混雑ぶりで、お昼を食べるのにどこも並ばないといけない状態でした。並ぶのはいやだいやだと歩いていたら、東京ソラマチ内の「問屋国分」の奥の「厨」にて、問屋国分が扱う缶詰と酒を使用した利き酒セット「缶つま利き酒セット」を出してくれると知り、迷わず入りました。あまり知っている人が少ないのか、お昼なのに空いています。穴場です。

利き酒セットは3種類のメニューから選べます。写真はモナカにはさんで食べるポテトサラダと、出し巻き卵です。お酒は日本酒にするか、利き酒ではない普通のビールにするか選べます。600円。このほか、お酒なしのメニューもいろいろあります。


利き酒の日本酒は、現在のお酒「勘兵衛」と江戸時代のお酒をレシピどおりに復元した「江戸正徳の酒」です。私は江戸正徳の酒のほうが好きです。

飲んでいたら、いつのまにか、展望室へ行くのに整理券が必要になっていました。13:30に整理券をもらったところ、展望室に入れるのは17:30だと知り、諦めました。


一体、ここまで何をしにきたのでしょうか。


というわけで、隣の「すみだ水族館」へ。みんな大好きチンアナゴ。多すぎる。


エイのしっぽが気になるが、気にしないフリをして静かにたたずむ方。


とてもだらんとしたオットセイ。



2013年1月2日水曜日

ヘビ島上陸作戦

1月2日、我が家に親戚が来て、飲み食いも一段落したところで、腹ごなしにヘビ島へ行きました。

ヘビ島は、私が通ったF小学校の隣のため池にある島です。この島は白ヘビを祭った神社なので、通称「ヘビ島」と呼ばれています。赤い鳥居が目印です。ちなみに右手奥に見えるのは、ハイウェイオアシスの観覧車です。


昔はもっと水が多くて、島へは歩いて渡れなかったのですが、現在は水が減り、歩いていけるようになってしまいました。ということで、伯母、母、弟、弟のお嫁さん、従姉妹の娘と上陸作戦を決行。正月早々、一体このファミリーは何をやっているのでしょうか。


伯母、母、弟、私は、みんなF小学校の卒業生なのですが、伯母や母の時代は学校にプールがなく、この池で水泳実習をしたそうです。中央に見える横に長いコンクリートが、その跡です。


あっという間に上陸。一体何年ぶりに上陸したでしょうか。たしか、以前に上陸したのは小学校6年生のとき。そのときは今よりも池の水が多かったので、どうやって上陸したのか記憶がありません。この鳥居の奥には、白ヘビをまつった祠があります。


そして、F小卒業生の血が蘇ったか、なぜかそのまま帰らず、ハイウェイオアシスの方まで歩いていってみようということに。正月早々、一体このファミリーは何をやっているのでしょうか。


弟や私が小学生だった当時、この池周辺の私有林は、持ち主のご好意で、F小学校の児童に開放されていました。私有林といえども広大(約4ヘクタール)で、F小児童はこの林で持久走をして木の根っこで転んだり、けもの道を整備して目印にやや不気味かわいくアートなトーテムポール(後の写真参照)を製作したり、道や広場に名前をつけたり、池周辺の崩れた道を、大雨のふるなか土嚢を作って補修したり、いかだを作ってヘビ島に上陸しようとするも玉砕したり、林全体を使って絶対に終わらない缶けりをしたり、ビリビリに破れたエロ本を発見して騒いだり、変なキノコを発見して騒いだりしていました。今なら、大雨が降るのに外で授業をふみたおして土嚢を作ってたら、保護者からクレームものでしょうに。今のF小児童も、ここでのびのび遊んでいるのでしょうか・・・そうだといいのですが。

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追記

少し調べてみたところ、現在もF小学校では、この私有林を利用したいろいろな活動が行われているみたいです。自分が小学生のころよりも、利用のしかたがパワーアップしていました。
http://www.jiji.com/jc/v5?id=20121213_kyoiku21_01

ハイウェイオアシスができたことで開放対象が広がり、企業のCSR活動にも関わっているようです。
http://npo.2030.jp/press/20111213.html
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途中で池の水が増えてきて、これ以上池沿いは歩けないと悟りました。トーテムポールが建っている=外へ通じる道がある、ということで、意を決して林の中へ。正月早々、一体このファミリーは何をやっているのでしょうか。お嫁さんにいたっては、今年が初めての我が家のお正月だというのに、いきなりこれってどうなんでしょう・・・。


林の中。今思えば、こんなところでよく持久走ができたものですね。小学生ってすごい。


一般道への出口に立っていたトーテムポール。小学生の芸術センスは偉大なり。


一般道~ハイウェイオアシスを抜けて、林の反対側へ。つまり、島上陸だけのつもりが、池を一周してしまいました。


ああ、ひさびさに野生に戻って(?)おもしろかった!